人的資本経営に取り組む上で欠かせない要素の1つが、ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)です。ダイバーシティ&インクルージョンは「多様性と受容性」を意味し、人的資本経営においては「多様性を認めて組織が包括的に受け入れ、その個性を生かしていく」取り組みのことを指します。

今回は人的資本経営におけるダイバーシティ&インクルージョンとは何か、その重要性や推進するメリット、導入方法や企業事例をご紹介します。

人的資本経営におけるダイバーシティ&インクルージョンとは

人的資本経営で求められる要素に「ダイバーシティ」と「インクルージョン」があります。経済産業省が2020年9月に公表した「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書〜人材版伊藤レポート〜」(通称「人材版伊藤レポート」)では、人材戦略に求められる3つの視点・5つの共通要素(3P・5Fモデル)にダイバーシティ&インクルージョンが含まれています。

まずはダイバーシティ&インクルージョンとは何か、なぜ人的資本経営において求められているのかを解説します。

「ダイバーシティ」と「インクルージョン」とは

ダイバーシティは「多様性」、インクルージョンは「受容性」を意味します。人的資本経営におけるダイバーシティ&インクルージョンとは、多様性を認め、その個性を生かしていくことです。ダイバーシティ&インクルージョンは、略して「D&I」と表記されることもあります。

ここでいう多様性は性別や国籍、価値観や感性、専門性や感性などを指します。「人材版伊藤レポート」において、ダイバーシティ&インクルージョンの対象には「知・経験」が含まれており、性別や国籍といった属性的な多様性だけでなく、目には見えない多様性(コグニティブダイバーシティ)も含まれます。ダイバーシティ&インクルージョンはこうした多様性を認め、積極的に取り込んだ多様な個人の掛け合わせが非連続的なイノベーションを生み出し、中長期的な企業価値向上に寄与するという考え方です。

ダイバーシティのみの推進では考え方や価値観などの違いによってミスコミュニケーションが生じやすくなり、生産性の低下やトラブルが増加する可能性があります。こうしたダイバーシティのデメリットを補うために重要になるのが「インクルージョンの推進」であり、人的資本経営においてはどちらも欠かせない要素です。

求められる背景

ダイバーシティ&インクルージョンが求められる主な要因は、以下2つです。

・労働力確保のため
・多様化・グローバル化に対応するため

現代は少子高齢化に伴う労働人口の減少により、多くの企業で労働力の確保を経営課題として重要視しています。労働力を確保するためにも性別や国籍、年齢にとらわれない多様な属性の人材を活用する動きが活発化しています。また、多様性には働き方も含まれ、リモートワークやパートタイムなどさまざまな働き方を取り入れることも労働力確保のポイントです。多様な人材が働きやすい職場は、エンゲージメント向上や離職率の低下など企業にとってもメリットが得られます。

そして、消費者ニーズの多様化やグローバル化に対応するためにもダイバーシティ&インクルージョンが求められます。世界経済や市場は絶え間なく変化していくため、変化に乗り遅れることなく、ニーズの多様化やグローバル化に対応し、さまざまな立場の従業員が意見を言い合える環境が必要です。なぜなら、多様な背景や価値観、経験をもつ人材がいてこそ、様々な視点から変化に対応するためのアイデアやイノベーションが生まれるからです。

労働力は企業の成長に欠かせない要素であり、現代の市場環境に対応しながら企業が持続的な成長を実現するためには、多様な価値観や経験を活用することが求められます。人材力を強化し、かつ人材の価値を最大限引き出せるダイバーシティ&インクルージョンは、中長期的な企業価値の向上を目指す人的資本経営に欠かせない要素です。

人的資本経営におけるダイバーシティ&インクルージョンのメリット

ダイバーシティ&インクルージョンを推進することはその必要性があるだけでなく、企業に以下のようなメリットをもたらします。ここでは、ダイバーシティ&インクルージョンが企業にもたらす4つのメリットをみていきましょう。

人材力の強化

労働人口の減少により、人材不足に悩む企業は増加しています。人的資本経営では人材を「資本」と捉え、中長期的な企業価値の向上に欠かせないものと定義しており、人材が不足している状態が続くと企業力も低下してしまいます。

ダイバーシティ&インクルージョンに目を向けることは、人材不足解消の解決策の1つになります。性別や国籍、年齢にとらわれず多様な人材を受け入れ、その個性を生かして戦力化し企業力向上を目指すことこそダイバーシティ&インクルージョンです。企業が多様性を認めて受け入れることで優秀人材の母数が増え、教育体制を整えて優秀人材の育成に力を入れることで、企業の成長にもつながります。

イノベーション創造の活性化

多様な人材が増えることで、組織全体が活性化します。従来の画一的な採用による人材の固定化は、革新的な意見を排除する風潮が起こりやすい傾向にあります。なぜなら、画一化によって想像力や発想力が広がりにくく、新たなイノベーションが創造されにくい環境であるからです。

消費者ニーズの多様化やグローバル化による変化の激しい市場環境に対応し、優位性を確保するには、多様な意見・アイデアが必要です。性別や年齢、国籍などにとらわれない多様な視点・経験・価値観があることで、それぞれのアイデアが良い形で融合し、革新的なイノベーションが生まれやすくなります。多様化するニーズに迅速に対応できるようになるだけでなく、新たなビジネスチャンスの獲得にもつながるでしょう。

従業員の貢献意欲の向上

ダイバーシティ&インクルージョンの推進は、既存の従業員にとっても良い影響があります。なぜなら、ダイバーシティ&インクルージョンでは多様な人材だけではなく、既存の従業員の多様性にも着目できるからです。

個性が尊重され、自身の価値が最大限発揮できる環境ではモチベーション高く働くことができ、その結果、成果や評価にもつながることでさらなる意欲向上をもたらします。個性が尊重されていることを従業員が実感できると、会社から必要とされている、大切にされていると認識できるようになり、企業や組織に貢献しようという意欲が芽生えます。また、多様な人材が働きやすいよう見直し・整備された労働環境・条件により、既存の従業員も自分らしい働き方を見つけられるようになるでしょう。

「自分らしさ」を引き出し、それが尊重される環境では仕事に対するモチベーションが向上し、成果を生み、結果的に企業の成長につながるのです。

定着率の向上

ダイバーシティ&インクルージョンの推進によって適材適所で能力が発揮でき、従業員が成長を実感すると同時に成果や評価にもつながる環境が構築されることで、定着率の向上につながります。

モチベーション高く働ける職場では、従業員エンゲージメントや満足度も向上し、定着率が高まります。自分らしさが尊重され、得意分野を生かして成果を創出できる場所があると感じられることで、従業員は今の職場で長期的なキャリアを築く意欲も向上するでしょう。

今後も労働人口は減少傾向にあるため、いかに人材を長く定着させるかが重要です。中長期的かつ持続的な企業価値の向上には「人」が欠かせないことからも、定着率が高いことはそれだけ企業の持続的かつ中長期的な成長に寄与する力が大きいということです。

ダイバーシティ&インクルージョンの導入ステップ

ダイバーシティ&インクルージョンの推進には、単に多様な人材を採用するだけでは不十分です。経営戦略との連動や推進体制の構築、労働環境やルールの整備・見直しなど、ダイバーシティ&インクルージョン推進に必要な環境・条件を整える必要があります。

ここでは、経済産業省「ダイバーシティ2.0一歩先の競争戦略へ」の行動ガイドラインをもとに、ダイバーシティ&インクルージョンの導入ステップを解説します。

①経営戦略との連動

やるべきこと
・ダイバーシティ・ポリシーの明確化
・KPI・ロードマップの策定
・経営トップによるコミットメント

ダイバーシティ・ポリシーとは、ダイバーシティが経営戦略に不可欠であることを明示することです。その上でダイバーシティの目標(KPI)を設定し、実現に必要なロードマップを策定します。経営トップ自らがコミットし、社内に共有することがポイントです。

取り組みが一過性のものとならないよう、経営トップがダイバーシティ&インクルージョンの導入を企業の重要目標として発信し続けることが重要です。

②ダイバーシティ&インクルージョン推進体制の構築

やるべきこと
・経営レベルの推進体制の構築
・事業部門との連携
・経営幹部への評価

ダイバーシティ&インクルージョン導入の取り組みを全社的・継続的に進めるために、推進体制を構築します。引き続き、経営トップがコミットメントすることが不可欠であり、経営トップをダイバーシティ&インクルージョン導入のプロジェクトリーダーに位置付けることがポイントです。

ホールディングス会社や主要な関係会社とも連携体制をつくり、役割分担を整理してグループ全体で取り組みを進めることが大切です。取り組みを現場レベルに落とし込むため、ダイバーシティ推進部門は各事業部と連携しましょう。経営レベルで実践の実効性を高めるためにも、経営幹部の評価指標にダイバーシティ&インクルージョン導入の項目を反映し、実行の強制力を持たせることがポイントです。

③ガバナンスの改革

やるべきこと
・取締役会の監督機能の向上
・取締役会におけるダイバーシティの取組の監督と推進

適切にダイバーシティ&インクルージョンを導入するためにも取締役会の監督機能を高め、取締役会が適切に監督できる体制を整えましょう。監督機能向上のためには、取締役会の構成員を見直し、構成員の多様性を確保することがポイントです。

④環境・ルールの整備

やるべきこと
・人事制度の見直し
・働き方改革

属性にかかわらず人材が活躍できる環境を構築するために、人事制度や働き方の見直し・整備に取り組みましょう。従来の人事制度を見直し、属性によって公平性に欠けることのない制度に整えることが大切です。また、生産性や創造性の向上を図るためにも、リモートワークやフレックスタイム制など多様な働き方を導入することもポイントです。

⑤管理職の行動・意識改革

やるべきこと
・管理職に対するトレーニングの実施
・管理職のマネジメントを促進する仕組みの整備

従業員の多様性を活かせるマネージャーを育成しましょう。管理職はダイバーシティ&インクルージョンの意義について理解し、多様性を活かすためのマネジメントスキルを身につけることが必要です。管理職への評価や部下に対する人事評価やジョブアサインメントの基準にダイバーシティの要素を取り入れることで、多様なマネジメントが促進されます。

⑥従業員の行動・意識改革

やるべきこと
・多様なキャリアパスの構築
・キャリアオーナーシップの育成

ライフスタイルや価値観の異なる人材が活躍できるよう、多様なキャリアパスを構築しましょう。従業員のアサインメントやキャリア支援を通じて、個々のキャリアに対するオーナーシップを育成することがポイントです。多様なキャリアパスから自分にあったキャリアを選択でき、かつそのキャリアが実現できるよう人材配置やキャリア支援を提供することが求められます。

⑦情報開示と対話

やるべきこと
・一貫した人材戦略の策定
・労働市場への効果的な発信と対話
・企業価値向上ストーリーの策定
・資本市場への効果的な発信と対話

人的資本経営でダイバーシティ&インクルージョンに取り組んでいることを労働市場・資本市場に発信します。労働市場へ発信する意図は、自社が獲得したい人材に訴求するために求職者とのコミュニケーションを深めることです。自社に必要な人材を確保するためには中長期的に実現すべき人材ポートフォリオを策定し、実現に向けた採用・育成・登用・リテンションまで一貫した人材戦略を策定し実行することがポイントです。

また、資本市場へ発信する意図は、投資家に対して人的資本経営に取り組んでいることとダイバーシティ&インクルージョン導入の推進をアピールするためです。とくに、取締役会のジェンダーや国籍など多様性への取り組み状況の説明は欠かせません。投資家との対話には、中期経営計画公表資料やアニュアルレポート、コーポレートガバナンス報告書や有価証券報告書(MD&A)、「女性の活躍推進企業データベース」などといったツールを利用します。このとき、人的資本経営やダイバーシティ&インクルージョンに取り組むことによる企業価値向上ストーリーを策定することで、説得力が向上します。

人的資本経営でダイバーシティ&インクルージョンを推進するための取り組みとポイント

「人材版伊藤レポート」では、人材戦略に求められる3つの視点・5つの共通要素として、中長期的な企業価値向上に向けて非連続的なイノベーションを生み出す原動力となる多様な個人の掛け合わせである「知・経験のダイバーシティ&インクルージョン」に言及しています。

「人的資本経営の実現に向けた検討会報告書〜人材版伊藤レポート2.0〜 」では、知・経験のダイバーシティ&インクルージョンのための取り組みとして、以下2つを挙げています。

キャリア採用や外国人の比率・定着・能力発揮のモニタリング

具体的な取り組み
・目標とする比率とその理由の明確化、取締役会での議論
・多様性を発揮するための属性ごとの課題の特定と克服
・定着・能力発揮についての目標化、特に重要ポジションにおける定着状況の社外取締役による  評価
・経営陣に関するダイバーシティ&インクルージョンの目標の設定 
・定着・能力発揮の状況に関する、対象となる人材と所属部門双方に対するフォローアップ

ダイバーシティ&インクルージョンの実現には、経営戦略の実現に必要な知・経験をもつ人材が定着し、能力を発揮できる環境を整えることが必要です。そのためにも、当該人材の定着率や能力発揮の状況を取締役会がモニタリングできる体制を構築しましょう。

管理職によるマネジメント方針の共有

具体的な取り組み
・一時的な状況でマネージャーを評価せず、マネジメントの改善を高く評価する運用
・ダイバーシティマネジメント上の工夫の共有・勉強会を奨励
・特に苦労している課長・マネージャー(ミドルマネジメント層)には人事部門と所属部門が協働  で支援

多様な知・経験をもつ人材が能力を発揮できるかは、管理職のマネジメント方針に大きく依存します。とくに、自社内でキャリアを重ねた人材のみを率いてきた管理職では、多様な知・経験を持つ人材を活かしきれないケースも出てきます。

管理職独自の経験や勘だけでマネジメントを行わないよう、ダイバーシティ&インクルージョンをふまえたマネジメント方針を開示することが必要です。多様な人材を活かす意識を高め、マネージャー同士が相互に学び合う機会を通じて改善を重ねていける環境を構築することもポイントです。

人的資本経営におけるダイバーシティ&インクルージョンの導入事例

ダイバーシティ&インクルージョンの導入事例を2社からご紹介します。

カゴメ株式会社

カゴメ株式会社では、2016年に社長を委員長とする「ダイバーシティ委員会」を設置。2022年10月には多様性をイノベーションの創出、持続的な成長に繋げるためCHRO(最高人事責任者)の傘下に「D&I for イノベーション推進室」を設置しました。同社では、ダイバーシティ&インクルージョンについて以下のような取り組みを実施しています。

取り組み
概要
「ダイバーシティDAY」の開催外部有識者・専門家を招き年1回開催する社内公開フォーラム。従業員がダイバーシティ&インクルージョンに関する知見を深めることを目的に実施。
ワークライフセミナーの開催仕事と生活の両立とこれからのキャリアについて従業員自らが考えるきっかけづくりを目的とした社内セミナー。
女性管理職勉強会
(女性活躍推進)
管理職としてのマインドセット・スキルアップを目的にした勉強会や新任女性課長を対象に役員がアドバイザーに就き、1年間にわたって月1回の面談を行うアドバイザープログラムを実施。2040年頃までに従業員から役員までの各職位の女性レベルを50%にする長期目標達成を目指した取り組み。
心理的安全性の浸透社長が心理的安全性の必要性を継続的に発信し、社内報でも心理的安全性が寄与した成功事例を紹介。また、心理的安全性の向上において重要な役割を担う役員・管理職を対象とした勉強会を開催。

株式会社資生堂

資生堂の企業理念実現のためのスローガン「LOVE THE DIFFERENCES(違いを愛そう)」は、性別や年齢、国籍といった属性や考え方の違いに関わらず、個々人の違いをお互いに認め尊重し合おうという意味が込められています。ダイバーシティ&インクルージョンの推進によって新しい価値の創造を目指す資生堂では、以下のような取り組みを実施しています。

取り組み
概要
女性の活躍支援仕事と育児を両立できるよう、事業所内保育所や保育料を補助。有給が認められる子どもの看護休暇制度などを整備するほか、業務の目的に合わせたリモートワークとオフィスワークの組み合わせも可能。
女性リーダー育成管理職候補となる社員に対し「一人別人材育成」として、高いレベルの業務課題を与えてスキルを高め、マネジメントの経験を積ませている。2017年からは、将来を担う優秀な女性社員を支援する女性リーダー育成塾「NEXT LEADERSHIP SESSION for WOMEN」を開催。
LGBTに関する取り組み店頭に立つ美容職およそ8,000名がLGBT応対研修を受講。そして、社員の同性パートナーが異性の配偶者と同じように福利厚生等の処遇を受けられる制度を整備。
障がいある社員の活躍約350名の障がいのある社員が、さまざまな部門・職種で活躍。障がい者雇用率は3.3%、日本国内の資生堂グループの障がい者雇用率は2.4%。(2021年6月時点)また、管理職向けに障がいへの理解を促す研修も実施。
外国籍の社員の活躍2018年より日本国内においても英語公用語化を推進。
定年後再雇用制度60歳で定年を迎えた後の再雇用制度を導入。

まとめ

中長期的な企業価値向上のためには、非連続的なイノベーションを生み出す原動力となる多様な個人の掛け合わせが必要です。そして、多様な個人の掛け合わせを生み出すために行うのが「ダイバーシティ&インクルージョン」です。性別や年齢、国籍といった目にみえる多様性だけでなく、知識や経験、価値観といった目に見えない多様性(コグニティブダイバーシティ)を活かすことも欠かせません。

ダイバーシティを推進するだけでは、考え方や価値観の違いによってミスコミュニケーションが生じる可能性があるため、これを防ぐためにも同時にインクルージョンを推進する必要があります。ダイバーシティ&インクルージョンの推進は企業にさまざまなメリットをもたらし、その結果が中長期的かつ持続的な企業成長・価値向上につながる取り組みなのです。