働き方改革によって、労働者に対する価値観が大きく変化していく中で、「人的資本経営」という言葉を耳にする機会が増えたという方も多いのではないでしょうか。

人的資本経営とは人材を最も重視し、その価値を最大限引き出すことで企業の成長につなげていくという経営の考え方です。

この記事では、人的資本経営がどのような経営スタイルであるのか、また人的資本経営が注目されるようになった背景やその取り組みについて解説します。

人的資本経営とは?

人的資本経営とは

人的資本経営は従来の経営スタイルとはどのような違いがあるのでしょうか。

またその他の資本経営との違いについても解説します。

従来との違い

人的資本経営と従来の経営スタイルとの最大の違いは「人材」に対する捉え方です。

例えば、従来の経営スタイルでは人材育成にかかる費用を「コスト」として捉えており、経営を継続していく中での消費対象とされてきました。

しかし、人的資本経営では人材を「資本」として積極的に投資する対象としており、その価値を最大限に発揮していくことが中長期的に企業を成長させ市場価値を高めることにつながるという考え方を重視しています。どのような企業でも事業を継続し成長を遂げていく上で、人材は最も重要な存在であるといえるでしょう。

また、人的資本経営では企業側が一方的に人材を管理するのではなく、企業と個々の人材が自立した関係性を構築しているという特徴があります。

人的資本とその他資本との違い

人的資本は他の資本とどのような違いがあるかご存知でしょうか。

最も代表的な資本は、財務諸表の数値から把握できる「財務資本」ですが、この財務資本以外の資本を5種類に分類することができます。

その中の一つである「人的資本」を対象とした経営を「人的資本経営」といいます。

財務資本以外の資本を「非財務資本」といいます。

非財務資本とは人的資本、製造資本、知的資本、社会・関係資本、自然資本がありますが、それぞれ資本の対象が異なっています。

資本の種類 資本経営の種類 資本の例
非財務資本 人的資本 人材、能力、経験
製造資本 建物、設備、インフラ
知的資本 特許、著作権
社会・関係資本 コミュニティ、ブランド
自然資本 土地、水、鉱物、植物
財務資本 財務的・経済的資本 株式、利益

人的資本経営に求められる背景とは

人的資本経営はなぜ注目を浴びるようになったのでしょうか。

その2つの背景について詳しく解説します。

働き方改革の多様性

人的資本経営が求められるようになった背景の一つとして、働き方改革の推進によって人々の働き方が多様化したり、労働人材構造が変化していることなどが挙げられます。

多様な働き方の具体例としては、DX化の推進に伴ったリモートワークの導入や外国人労働者の積極的な採用、非正規雇用や共働き夫婦の増加、定年の延長などがあります。

このように変化し続ける労働環境で企業が事業を継続していくためには、個々の人材の多様な生活スタイルを尊重し、その中でそれぞれの価値を最大限発揮していけるような取り組みが必要であるという考えが広まりました。

これを実現するためには人材を資本と捉えることが重要だと考える経営層が増え、人的資本経営が注目されるようになりました。

ESG投資

人的資本経営が注目されるようになった2つ目の背景は、ESG投資が投資におけるトレンドとなっていることが考えられます。ESGはEnvironment(環境)、Social(社会)、Governance(企業統治)の頭文字を取った言葉です。

ESG投資とは環境、社会、企業統治に配慮した事業をおこなっている企業に対して積極的に投資しようという考え方です。

例えば、環境問題を度外視して、産業廃棄物を排出しながら大量生産を行う製造業の企業には、たとえ業績が良くても投資を行わないという考えです。

近年ではESGが企業の成長性を評価する上での重要ポイントとなっていることから、ESG投資に取り組む企業が増えています。

またESGの3つの要素のうち社会と企業統治に人的資本が含まれていることから、人的資本情報の開示を求める投資家が増えました。

このような時代の変化に伴って人的資本経営を取り入れる企業が増えたのです。

人材要素に不可欠な内容

人的資本経営における人材戦略で必要な視点や知っておくべき共通要素について解説します。

人材戦略に必要な3つの視点

人材戦略で求められる3つの視点について解説します。

  • 経営戦略と人材戦略の連動

人材戦略において最も重要な視点であり、人的資本経営の第一歩とも言えるのが経営戦略と人材戦略の連動です。中長期的に企業価値の向上を図っていくためには、経営戦略と人材戦略を連動させ双方のつながりを意識しながら実行していくことが必要不可欠といえます。

具体的な実行項目としては最高人事責任者(CHRO:Chief Human Resource Officer)の設置、経営課題の抽出、KPI設定とその背景や理由の説明、人事と事業の両部門の役割分担の検証、人事部門のケイパビリティ向上、サクセッションプランの具体的プログラム化、指名委員会委員長への社外取締役の登用、役員報酬への人材に関するKPIの反映などがあります。

  • As is – To beギャップの定量把握に向けた取り組み

人的資本経営で必要な2つ目の視点は、As isとTo beのギャップの定量把握に向けた取り組みです。As isは現在の姿、To beは目指している理想の姿のことを指し、人材面での課題ごとにKPIを用いてそれぞれのギャップを定量的に把握していこうとする取り組みのことです。

これを実施することで、経営戦略と人材戦略が連動されているかの評価にもつながります。具体的には人事情報基盤の整備、動的な人材ポートフォリオ計画を踏まえた目標や達成までの期間の設定、定量把握する項目の一覧化などを実行する必要があります。

  • 組織文化の定着

3つ目の視点は組織文化の定着です。

組織文化とは、企業が大切にしたい価値観、文化、強み、フィロソフィー、判断基準など、組織と従業員との間で共通認識されている価値観や行動規範のことを言います。

例えば、新規事業を成功させるためには、新しいことに挑戦し続ける組織文化が定着していなければ、事業の成功は難しいでしょう。

組織文化を定着させるためには、人材がどれくらい組織文化を意識しているかを把握し、さらなる定着に向けた戦略を考案して組織全体で実施していくことが大切です。

とはいえ、どれくらい文化が定着しているか判断することは難しく、意識して定着度を把握している企業は少ないです。

具体的な対策としては、定期的に社内アンケートを行うことが効果的です。

・職務内容に納得しているか

・自分の意見が聞き入れられているか

・“失敗”よりも“挑戦”を評価されているか

といった項目に対する回答をデータ化することで、定着させたい組織文化と従業員の意識にミスマッチが起きていないか確認することができ、人的資本の問題点抽出にも有効です。

人材戦略に必要な5つの共通要素

次は人材戦略に必要な5つの共通要素について解説します。

  • 動的な人材ポートフォリオ

1つ目の要素は動的な人材ポートフォリオです。人材ポートフォリオとは、社内のどこにどのような人材がどれくらい在籍しているかといった構成を示したものです。定めた経営戦略を実現し企業価値を最大化していくためには、人材ポートフォリオを人材の質・量の観点から適時最適な状態にしていくことが大切です。

  • 知・経験のダイバーシティ&インクルージョン

2つ目の要素は知・経験のダイバーシティとインクルージョンです。

ここでのダイバーシティは多様性、インクルージョンは一体感や平等な機会などを意味します。企業が成長し長期的に自社の価値を発揮していくためには、個々の人材の知・経験の多様性を尊重することが大切です。

また全ての人材に平等な教育の機会を与えて専門性・価値観を取り込んでいくことも重要なポイントになります。

  • リスキリング・学び直し

3つ目の要素は従業員のリスキリング(学び直し)です。

企業が成長していくためには所属している人材一人ひとりと雇い主である企業側が、時代の流れや社会の変化に合わせてリスキリング・学び直しをしてさらに専門性やスキルを向上させていくことが大切です。

そのためには企業側が個々の人材に合ったスキルの獲得や学び直しに向けた支援をおこなう必要があります。

  • 従業員エンゲージメント

4つ目の要素は従業員エンゲージメントです。

エンゲージメントとは「誰か・何かに“貢献”しようとする志」のことであり、従業員が業務内容にやりがいを感じているか、意欲的に取り組めているか、高いモチベーションを維持することができているかなどを意味します。

勘違いされやすいですが、「モチベーション」=「エンゲージメント」ではありません。

例えば、モチベーションが給料重視の従業員だとすると、給料底上げのために無意味な残業を繰り返す可能性があります。しかし、これは会社に“貢献”していると言えません。

従業員エンゲージメントが高い状況の例として、最も想像しやすいのがテーマパークのキャストです。パーク(組織)に所属するキャストは、ゲストを最大限楽しませるという「組織文化」のもと、全力で職務に取り組んでいることを肌で感じた経験がある方もいると思います。

このように「従業員エンゲージメント」は人的資本経営の中でも重要な指標であるといえ、従業員の離職率の低下や、モチベーションの向上、ひいては業績向上に繋がります。

  • 時間や場所にとらわれない働き方

5つ目の要素は時間や場所にとらわれない働き方です。企業が展開している事業を長期的に継続していくためには、個々の人材のライフスタイルに合わせた多様な働き方を実現する必要があります。

具体的にはリモートワークの導入やフレックスタイム制の導入などがあります。そのような多様な働き方の中でも、従業員同士が積極的にコミュニケーションをとり業務を円滑に遂行していけるような体制作りが重要になります。

人的資本可視指針の策定

2022年8月30日に内閣官房により人的資本経営のガイドラインとなる「人的資本可視化指針」が策定されました。この指針における、ガバナンス、戦略、リスク管理、指標と目標という4つの要素について解説します。人的資本に関する情報は、この4つの要素に沿って開示することで効果的・効率的に実施することが可能になります。

  • ガバナンス
  • 戦略
  • リスク管理
  • 指標と目標

ガバナンス

ガバナンスとはビジネスにおいて企業統治を意味し、企業が経営する上での判断・運営が公正に下されるように監視・統制する仕組みのことをいいます。人的資本経営においては、人的資本に関連するリスクや機会に関するガバナンスのことを指します。

具体的には従業員関連事項の監督が誰であるか、従業員に関する課題管理において経営者がどのような役割を担っているか、従業員にはどのような手法で関与しているか、取締役会による従業員関連事項の検討が戦略的意思決定にどのような影響を与えているかなどの情報が求められます。

戦略

人的資本経営では人材戦略と経営戦略を連動させながら事業を進めています。そのため、まずは経営戦略と人的資本への投資や人材戦略がどのような関係性を持っているかを明確にすることが大切です。

具体的には企業が従業員の範囲についてどのように考えているか、従業員に対してどのように投資しているか、どのような従業員がどのようにビジネスモデルの成功に貢献しているか、従業員が企業に対してどのような価値をもたらしているのか、従業員のモデルが経営戦略をどのように支えているかなどを説明する必要があります。

リスク管理

リスク管理とは人的資本に関するリスクを識別・評価・管理するプロセスのことを意味します。従業員に起因するリスクと機会に対して、企業側がどのように向き合い、どのような取り組みをおこなっているかといった情報が求められます。

具体的には従業員に関するリスク・機会を特定、評価、管理するためにどのようなプロセスを経ているか、ビジネスにおいてどこにリスクと機会が存在しそれらがどのように管理されているかといった情報を説明する必要があります。

指標と目標

ここでは企業側が、従業員に関するどのような情報をどのように監視・管理しているかという情報が求められます。

具体的には従業員に対してどのような指標を共有しているか、従業員の挑戦やパフォーマンスなどの動機付けをどのようにおこなっているか、従業員の定着率や離職率、労働環境に適用される価値、報酬や福利厚生、研修・能力開発、昇進に関する統計などの情報開示が必要です。

人的資本経営の取り組み方

人的資本経営における基本的な考え方について理解できましたでしょうか。次は人的資本経営の取り組み方とその流れを具体的に解説します。

  • 経営と人材の連動
  • 目標との差異を確認
  • 差異を埋めるために分析
  • 施策を実行し検証

経営と人材の連動

人的資本経営を進めるための最初のステップは、経営と人材を連動させることです。企業における経営戦略を人材戦略と連動させて双方のつながりを意識しながら事業を進めていくことは、人的資本経営を進めるための第一歩ともいわれているほど重要な工程になります。

例えば自社の経営課題がシステムのクラウド化が進んでいないというものであれば、クラウド化に詳しい人材を確保・育成していくことが求められます。このように経営課題と人材課題は密接なつながりがあります。そのためまずは自社の経営課題と目指す理想の姿を明確にし、それを実現するための人材戦略を考案していくことが大切です。

目標との差異を確認

次のステップは現状と目標との差異を確認することです。自社の経営課題や人材面での課題を明確にし双方の戦略が定まったら、次は目指す理想の姿(To be)を設定しそれが現在の姿(As is)と比べてどれくらい差異があるのかを確認します。

それぞれの差異を確認するときはできる限り定量的に把握することが大切です。定量把握することで、今後実施すべき施策を考案・実行しやすくなるというメリットがあります。

差異を埋めるために分析

前段階で現在の姿と目標との差異が明確になったら、次はその差異を埋めるためには何が必要かなどを分析していきます。

効果的な施策を考案するためには、目指すべき姿から逆算して考えていくことがポイントです。施策の具体例としては、経営課題を解決するために最適な人材の採用、教育への投資、待遇の改善などがあります。

施策を実行し検証

前段階で考案した施策を実行し、効果検証しましょう。経営スタイルや業種などに関わらず幅広い企業において、施策の精度を向上させていくためにはPDCA(Plan:計画、Do:実行、Check:評価、Action:改善)を意識し効果的に回していくことが必要不可欠と言えるでしょう。

施策を実行した後は、目標との差異がどれくらい縮んだのかやどのような変化をもたらしたかなどを定期的に評価していくことが大切です。

評価した後は目標達成に向けてより効果的な施策を生み出すために、改善点などを挙げていきましょう。企業が成長していくためにはこのような取り組みを継続的におこなっていくことが重要です。

まとめ

今回は人的資本経営に関する基本的な知識や、重要な視点と共通要素、取り組み方について解説しました。最近では非財務資本を重要視する傾向が高まり、人的資本経営だけでなく、自然資本経営や知的資本経営など様々な種類の資本経営があります。その中でも人材を資本としてとらえる人的資本経営は、企業で働き方改革が急速に進んでいたりESGが重要視されている現代の風潮に合った経営スタイルであるといえるでしょう。

企業が人的資本経営に取り組んでいくためには、まず自社の経営戦略と人材戦略を連動させることが必要不可欠です。その後は現在の姿と目標とする姿のギャップを明確にし、それをうめるための施策を考案します。考案した施策は実行して終わりではなく、PDCAを効果的に回していくことこそが、企業価値を最大に発揮していく上での最も重要なポイントといえます。

人的資本経営を短期的な流行と捉えるのではなく、将来性のある経営スタイルであると捉えて経営を進めていくことが大切です。ぜひ取り組んでみてはいかがでしょうか。