ビジネスを行う中で、「人的資本経営」という言葉を耳にすることもあるでしょう。近年では、人材を資本とみなし、人材に投資して企業の成長を図る人的資本経営が注目されています。働く従業員を会社の資本とみなすという考え方のことですが、どうして注目されているのでしょうか。

また、人的資本経営が求められる背景や人的資本経営の5つの要素を知っておくこともおすすめします。この記事では、人的資本経営についてやさまざまな業種の企業ごとの事例を詳しく紹介します。

人的資本経営を導入した企業の事例は?

人的資本経営とは?

人的資本経営とは、従業員などの企業に従事している人材を資産と捉えて、人材の価値を最大限引き出すことで、中長期的な企業価値向上に繋げることです。

人的資本経営では、企業の成長のために、人材に対して育成などの投資を行います。人材を育成することにより、企業の将来に渡っての中長期的な成長に繋がると考えるためです。人的資本と似ている言葉に人的資源という言葉がありますが、こちらは人を消費の対象と捉えるため、投資ではなく真逆のコストと考えています。

人材を資本と捉えるのか、費用と捉えるのかによって向き合い方や投資の仕方も異なります。人材を資本と考える人的資本経営を取り入れることにより、企業が人材に対しての考え方や捉え方を見直す良いきっかけになるでしょう。

また、人的資本経営をすることにより、国内のみならず海外からみても企業の成長が見込めるという印象を与えることや、企業の透明性をアピールすることも可能です。

人的資本経営が求められる背景

人的資本経営が求められるようになったのは、どのような背景があるのでしょう。人的資本経営が求められる背景の理由を見ていきましょう。

  • サステナブルの考え方が広まったから

近年では、SDGs(持続可能な開発目標)やESG(環境・社会・企業統治)など、サステナブルな考え方が世界中に広まっています。企業価値においても、業績などの財務情報だけでは、継続的に利益を上げていけるかの判断が困難と言えます。

非財務情報と言われる経営戦略やESGやCSRに関する活動状況などが重視される中で、人的資本への理解も深まり、人的資本経営が求められるようになったと言えます。

  • 人材版伊藤レポートの発表

2020年9月に経済産業省から発表された「人材版伊藤レポート」が発表されました。実際に、企業だけでなく国が発信することにより、人的資本経営についての考えが多くの人に広まったと言えます。また、海外でもISO30414が公開され、人的資本の情報公開が義務化されました。

海外の動きや政府の発表などにより、国内でも人的資本経営への理解が深まりました。

日本でも人的資本の情報開示について義務化が決定しており、金融庁は段階的に適用させていくと発表しています。まずは、大手企業4,000社を対象に有価証券報告書へ人材投資額や社員満足度の記載を求めました。2023年(令和5年)3月期の有価証券報告書から適用されます。

  • 人材構造や働き方の多様化

人材構造や働き方の多様化も人的資本経営が重要視されるようになった理由の一つです。従来の終身雇用形態ではなく、非正規雇用やフリーランスなどの働き方が増加しています。そういった状況からも分かるように、仕事に対する価値観や考え方も多様化していると言えます。

個人を尊重し、それぞれの強みやスキルを活かすことが企業に求められています。人的資本を活用しながら企業の価値の向上を目指すことが重要と言えます。

人的資本経営5つの要素

人的資本経営には、5つの要素があります。

  • 人的ポートフォリオ
  • ダイバーシティ人材
  • リスキリング
  • 従業員エンゲージメント
  • 多様な働き方

それぞれの特徴を見ていきましょう。

人的ポートフォリオ

経営目標を達成するために、必要な人材の種類や数を分析する手法のことを人的ポートフォリオといいます。人的資本経営では、常に組織内の人材情報の分析や設計が必要となります。そのため、人的ポートフォリオで分析した結果を人的資本経営に活かすことが重要と言えます。

ダイバーシティ人材(多様な人材)

人材の多様性の確保のことをダイバーシティといいます。人的資本経営で重要なポイントは、個人を尊重しながら多様性を認め合う考え方になります。

中長期的な企業の成長を生み出すには多様な人材のスキルや能力を最大限に活かして、新しいイノベーションを作ることが重要です。

リスキリング

リスキリングとは、必要なスキルを習得することやもしくは習得させることという意味を持っています。それぞれの職業によって必要なスキルは常に変化していきます。

リスキリングや学び直しをすることにより、変化に対応しながら働くことが可能になります。個人や企業の目標に必要な能力を把握し、継続して学び続けることが重要と言えます。

従業員エンゲージメント

エンゲージメントとは「誰か・何かに”貢献”しようとする志」のことを指します。従業員のエンゲージメントが高まるほど、生産性が向上します。生産性が向上することにより、企業の利益率の向上に繋がるというメリットがあります。

また、従業員エンゲージメントが高まることにより、仕事のモチベーションが上がり離職率の低下や顧客満足度の向上にも繋がることが考えられます。人的資本経営の成功には従業員のエンゲージメントを高める必要があります。

多様な働き方

人的資本経営が重要視されるようになった背景の一つに働き方の多様性があります。人的資本を最大限に活かすためにも、時間や場所に捉われないという多様な働き方を取り入れることもポイントになります。極端な例ですが、近年では海外に滞在する優秀な人材にも仕事を依頼することができるようになりました。

そのため、個人の働き方を尊重して、リモートワークなどの環境整備をすることさえできれば、人的資本経営の幅を広げることができます。

人的資本経営のメリット

人的資本経営を行う上でのメリットは3つ挙げられます。それぞれのメリットを見てみましょう。

生産性の向上

生産性向上を図る施策と言えば、無駄な業務の洗い出しや、業務のマニュアル化(標準化)などが代表的ですが、人的資本経営においても2つ施策があります。1つ目は、前述した従業員エンゲージメントを高める施策です。

例えば、働く環境の整備や福利厚生の充当、社内コミュニケーション活性化など、働く人材の環境整備に対して積極的に投資することにより、従業員の能力やモチベーション向上に繋げることができます。2つ目は人員配置です。業務内容に求められるスキルや適性を持った人材を適切に配置することが大切です。

例えば、習熟度に偏りがあると適切な指導及びスキルアップができず、部署間の生産性に影響を及ぼしてしまいます。このように、人的資本経営は生産性に大きな影響を与えるため、正しく取り組む必要があります。

投資対象として認知してもらえる

前述したように、近年の投資家の間ではSDGsやESGに配慮した企業に投資をする考え方が広まっています。その要素である「社会」「企業統治」に人的資本が含まれているため、人的資本経営に取り組むことが投資対象として認知される可能性を高めます。

投資対象として認知され、資金を調達できれば、人材の育成のための費用や新商品の開発費などにも力を入れることができるというメリットがあります。その結果、企業の成長を促進し、企業価値を高めることで投資家の投資額も増えるという好循環が期待できます。

企業イメージの向上

海外では人的資本の情報開示を義務化する動きが以前から加速しています。日本でも2023年3月期より、上場企業に対して有価証券報告書に新しく「男女間賃金格差」「女性管理職比率」「男性育児休業取得率」の記載を義務付けることを発表しました。

情報開示により企業ごとの取り組みも数値などにより明らかになります。そのため、人材の育成によって業績向上にも繋がっているという情報を示すことで企業のイメージ向上も見込めます。

人的資本経営の企業例

様々な業種や業態で人的資本経営を実際に取り入れている企業の一例を紹介します。

  • 東京海上グループ
  • 株式会社KMユナイテッド
  • 株式会社MapleSystems
  • 大東自動車株式会社三重県南部自動車学校
  • 旭化成株式会社
  • 花王株式会社
  • 株式会社シード

業種別で抜粋した7社の成功事例を見ていきましょう。

東京海上グループ

東京海上グループでは、多様な人材の連帯を人材戦略としています。社員の共通の土台となるパーパスとするために、社員同士のコミュニケーションのために真面目な話を気楽にできるようにと「マジきら会」を実施しています。

まじめ(マジメ)な話を気楽(きらく)な雰囲気の中で論議する会議のことです。度々各社合同で、テーマを決めて実施しています。例えば、2018年8月には、「アンコンシャス・バイアス」について話し合う機会を設けました。「アンコンシャス・バイアス」とは、具体的に言うと、自分自身が気づいていないものの見方や捉え方の歪み・偏りのことを指します。「理解の無いままに指導・サポートしても、逆に押し付けになることもある。

相手の考え方に寄り添い、ひも解くことが大切」という意見が飛び交うなど、上司や部下、性別などに関わらず多様な考え方などをお互いに理解し合うことが大切という気持ちが高まる会になったといいます。

株式会社KMユナイテッド

塗装工事業である株式会社KMユナイテッドでは、一人前の職人になるには10年かかることが当たり前だった塗装職人の世界で未経験者でも3年間で技能を習得できる独自の育成方法を開発しました。ベテランの塗装職人が持っているスキルなどを分析したことが成功した事例です。簡単に習得できるものとそうでないものに分けて構造化することによって3年で技術の習得を実現しました。

実施の背景には、業務属人化による担い手不足という点とベテランの長期活躍を支える制度設計の必要性があったためとされています。職人の世界では、「習うより慣れろ」という「背中を見て学ぶ」という暗黙知が多くなっています。そのため、本取り組みはそういった固定観念を打ち破るところから育成プログラムを導入した新たな可能性のある取り組みと言えます。

株式会社MapleSystems

離職後もエンジニアとして活躍してもらうために「離職率100%」を掲げているシステムエンジニアリング事業などを行っている企業です。

離職率の提言を掲げている企業では、エンジニアの気持ちなどよりも会社都合になっていると考えたため、エンジニアのスキルの習得とステップアップを支援する環境を用意して離職率100%を提言しています。また、案件の契約金を開示することで、エンジニア自身が望んでいる収入や身につけたいスキルに応じた案件を選んでもらえる環境も整えています。

このような取り組みにより、離職率100%と掲げているものの、離職率の低下や同社への入社希望者の増加などの成果が現れています。社内だけに留まらず、社外との関わりを持ったことで、エンジニアが自身のキャリアなどについて考える機会などを持つことができるようになったことも、働く人材に寄り添った成功例と言えます。

大東自動車株式会社三重県南部自動車学校

大東自動車株式会社三重県南部自動車学校は、三重県公安委員会指定の自動車教習所です。少子化や免許取得しない人の増加などによって、自動車学校に通う人は減少しています。近年の傾向を取り入れて「ほめちぎる教習」を実施しています。

従業員全員が朝礼でほめる技術を学ぶことで、生徒の良いところを見つける教習を実践して褒め方を学ぶ一連の活動によって、従業員同士のコミュニケーションも活発化し、笑顔溢れる職場となりました。従業員の働きやすさの向上と顧客満足度も向上するといったメリットが生まれた事例です。

旭化成株式会社

旭化成株式会社は、日本の大手総合化学メーカーです。経営戦略の実現に必要となる人材ポートフォリオの構築のために採用すべき人材の質と量を事業軸と機能軸の両面から全社に毎年洗い出

しています。採用や育成において確保できない人材については、少額投資を通じた企業とのコネクション強化などで獲得しています。また、国連「ビジネスと人権に関する指導原則」「子どもの権利とビジネスの原則」にも賛同しています。

これにより、グループ企業内での労働問題屋か大の把握と適切な対処に取り組んでいます。「旭化成グループ行動規範」では、雇用形態などによる差別や人権および多様性を尊重することを実践することも明記しています。実際に、旭化成株式会社の新卒採用者の初任給は、地域別最低賃金全国加重平均額少なくとも120%以上となっています。

花王株式会社

花王株式会社は、大手消費財化学メーカーです。「ありたい姿や理想に近づくための高く挑戦的な目標」としてOKR(Objectives & Key Results)を導入しました。結果的に会社の成長や社会に一人ひとりが社会に貢献することを目的としています。OKRの導入に伴って、KPIに基づいた目標管理や評価制度である「花王ウェイ」を2021年7月に改めました。花王は21年に2年連続でCDPの「トリプルA」(気候変動、水セキュリティ、森林の3分野で最高評価)を獲得しています。

その上で、ESGに取り組みながら事業が回るモデルの実現を2022年から始めています。社員が自ら掲げる大きな目標や新たな行動原則に「果敢に挑む」ということが追加された「花王ウェイ」のために常に挑戦しています。

株式会社シード

株式会社シードは、世界中に工場などの拠点を持つ、歴史のあるコンタクトレンズメーカーです。若手社員の活躍にも期待している中で、目の前のことに精一杯になりすぎて自分自身の成長に対して視野が狭くなりすぎるということが課題としてありました。

若手社員研修の実施で、社員へのヒアリングによる状況把握を行った結果、解決の方向性を発見しました。成人発達理論を用いることで、社員の現状と成長のステップを明確にすることに成功した事例です。

また、グループコーチング形式による自己理解を深めることで、視野の拡大を行いました。効果としては、自分と他者の行動を客観的な視点で理解できるようになったことや研修によって同期への理解が深まったことなどが挙げられます。自分と他者との違いを受け入れることの大切さや他者への理解を深めることの重要性を得られた成功事例です。

まとめ

近年では、国内のみならず世界中で人的資本経営が注目されています。従業員などの人材を資本と考えて、人材育成に投資したりと力を入れることにより、企業の中長期的な成長も見込めます。さまざまな業種の企業で人的資本経営が行われており、企業の成長や優秀な人材の成長にも繋がっています。

人材に投資することによって、企業の将来を担う優秀な人材が長く企業で働く環境を整えることもできます。社員一人ひとりの他者への理解が深まることや多様な働き方などを取り入れる企業が増えたことで、幅広い視点で物事を考えられることから、事業の広がりを見せる企業も増加しています。さまざまな業種での人的資本経営の成功事例を参考に、人的資本経営を取り入れましょう。