「人材」を投資対象の「資本」として捉える「人的資本経営」という経営手法に注目する企業が増えています。

人的資本経営は、これからの日本において「持続的に企業価値を高める」ために欠かせない考え方ですが、人的資本経営の言葉の意味や定義を理解していても、どのように実践すればいいのか、自社にも取り入れる必要があるのかわからない、という人事担当者の方も多いかもしれません。しかし結論としては、企業規模に限らず人的資本経営を取り入れるべきだと言えます。

この記事では、中小企業でも人的資本経営を取り入れるべき理由と、実際に人的資本経営を取り入れた企業の事例を詳しく解説していきます。

中小企業による人的資本経営

人的資本経営の目的とは?

なぜ多くの企業において人的資本経営が推進されつつあるのか、その目的を解説していきます。

中小企業にも人的資本経営は必要?

中小企業でも人的資本経営を取り入れるべき理由は、人的資本経営を実践することで他社との差別化や競争力強化に繋がり、事業の成長を促進することができるためです。

人的資本経営は、従業員の能力開発や組織文化の醸成、人事評価制度の充実などを行っていく経営手法となっており、従業員エンゲージメントを高めることを目的の一つとしています。従業員の能力やスキル向上、キャリア開発に取り組めば企業価値の向上にも繋がるため、他社との差別化を強化することができます。よって、従業員数が少ない中小企業では一人一人のスキルがより重要になるため、人的資本経営が必要と言えます。

人的資本経営とはなにか、全般の内容を把握したい方はこちらをご覧ください。

大企業による人的資本経営との違い

大企業による人的資本経営と、中小企業による人的資本経営には主に次のような違いがあります。

組織構造

当然のことながら、大企業は中小企業よりも多数の従業員を抱えているため、複数の階層や部門から成る組織構造を持っています。

人的資本経営において組織構造は重要な要素であり、組織構造が影響する「意思決定のスピード」や「部門間の連携」「リーダーシップ」などは従業員のエンゲージメントやリスキリング等に大きく関わる要因と言えます。多層的な組織構造になりやすい大企業は、これらの要因をコントロールするために、専門の組織開発チームや人事部門によるサポートを行う必要があります。しかし中小企業は大企業に比べて従業員数が少ない分、適切な組織構造の構築と人員配置がしやすいといったメリットがあります。

仕事の裁量権

中小企業は社員数が少なく、社員1人に任される仕事量が多い傾向にあるため、大企業よりも「裁量権」が大きいと言えます。従業員の能力を最大限に引き出すことが求められる人的資本経営では、業務に対する責任感やモチベーションが重要であり、裁量権も大きく関わってきます。

大企業のように組織自体の規模が大きい場合は、部署や役職、仕事内容を細かく分けて分担するため、業務の境界が明確なことが多いです。一方中小企業は、職種をまたがって担当するケースも少なくありません。一つのプロジェクトに一気通貫で携わることができれば、幅広い知識やスキルを習得できるチャンスとなります。したがって、人的資本経営を実践する上で、仕事の裁量権を持たせるのは重要な要素と言えます。

資金やリソース

企業規模に関わらず人的資本経営を実践する際は予算の設定をします。例えば、大企業が人的資本経営を取り入れる場合は予算が充実していることが多いため、社員食堂や社内カフェを充実させるなどの多種多様な福利厚生を設けることができます。一方、中小企業の場合は資金が限られていることがあるので、大企業に比べて打ち出せる施策の選択肢は少ない傾向にあります。その他にも、新入社員の社会人マナーに関する研修を外部に委託できるかどうかも資金の大小によって変わってくるため、新入社員の教育内容にも違いが生じます。そのため中小企業で人的資本経営を取り入れる場合は、目的と課題を明確にした上で、注力するべき施策を決める必要があります。

人的資本経営と中小企業

中小企業が行う人的資本経営とは?

大企業に比べて様々な条件が限られる中小企業においても、人的資本経営を実践することは可能です。具体的にどのような取り組みが可能なのか、3つの点をそれぞれ解説していきます。

人材の確保

人材不足が深刻化する日本において優秀な人材を採用するのは簡単なことではありません。求人や広告等に割けるリソースが限られている中小企業だからこそ、人的資本経営の実践が必要と言えます。例えば職場環境や人事評価制度の整備といった、従業員エンゲージメントを向上させるために行っている施策を、人的資本の情報開示を通じてアピールできます。また、企業のミッションや組織文化を公表することで、共感する求職者からの募集が増えることも期待できます。

仕組みの構築

人的資本経営の実践にかけられる予算が限られている場合は「仕組みの構築」に工夫が必要です。例えば、「リスキリング」の取り組みとして従業員の資格取得を支援したい場合、福利厚生に「資格手当」を追加することは有力な仕組みの一つとなります。他にも外部研修の費用を補助したり、社内の有資格者による社内研修を実施したりするなど、予算に合った制度を構築することが求められます。まずは見直すべき仕組みを洗い出してから、優先順位を決めて構築を進めましょう。

組織文化の醸成

中小企業においては特に組織文化が重要になります。経営者と従業員間の距離が近いことが多いため、経営者の考え方を従業員へ伝えやすいというメリットがある反面、一方的な押し付け型になりやすいというデメリットもあります。例えば、経営者から従業員に向けて目標や理念を一方的に押し付けるのではなく、従業員から意見やアイデアを取り入れながら組織文化を醸成することが重要です。従業員自身が共感しながら確立した組織文化であれば、企業と従業員の間に信頼関係が生まれ、結果的に従業員エンゲージメントの向上に繋がります。

人的資本経営を導入した企業例

実際に人的資本経営を実践している企業は、具体的にどのような取り組みを行っているのでしょうか。ここでは、中小企業と大企業を含めた5つの企業例をそれぞれ紹介していきます。

伊藤忠商事株式会社

伊藤忠商事は人材戦略の一環として、社員エンゲージメントの向上に努めています。実際に人事施策の効果をエンゲージメント・サーベイで測定しており、約8割の社員が「大切にし、配慮されている」と回答しました。また、株主を意識した株式報奨制度や女性の活躍支援なども実施しており、社員の会社への貢献意欲を高める取り組みを進めています。今後は労働力不足や雇用の流動性の高まりに対応し、持続的な企業価値の向上を図ることを目標としています。

参考:伊藤忠商事株式会社「総会レポート2019『人的資産』」

花王株式会社

花王は持続的に企業価値を向上させるため、社員の活力を最大化させることや活動生産性を2倍にするための施策を行っています。具体的には、一つのO(目標)に複数のKR(主要な結果)を付随させる目標設定方法の一つ「OKR」や、社員の担当業務や役割を超えた挑戦を支援する変革アイデアの公募プログラム「0★1(ゼロワン)kao」を導入しています。また裁量労働制やフレックスタイム制度、リモートワークを導入し、より柔軟な働き方ができるような制度も設けています。

参考:花王株式会社「花王統合レポート2022」

ヒカリ株式会社

ワイヤ製造を行うヒカリ株式会社では、社員一人ひとりが問題を解決する能力や「ものを観る力」を育てられるように、「ヒカリものづくり大学」というビジネスや科学基礎を学べる講座を開講しています。この取り組みにより、毎年実施する社員満足度アンケートでも「自分のやっている仕事の意味がようやく分かった」「ヒカリに将来性がある」「今後もヒカリで働きたい」という声が多くなったことから、実際に社員エンゲージメントの向上が実現しています。

参考:中小企業庁「人的資本への投資と組織の柔軟性、外部人材の活用『事例2-2-4:ヒカリ株式会社』」

参考:ヒカリ株式会社「ヒカリものづくり大学」

岩田商事株式会社

ガソリンスタンド経営を行う岩田商事の岩田社長は、個々の社員の能力を伸ばすことが自社の競争力を高めるという考えを持っています。具体的な施策として、形骸化していた人事評価制度を抜本的に見直し、従業員一人ひとりが納得できる人事評価制度を導入しました。すべての従業員に対して同じ評価基準を持つのではなく、従業員それぞれが伸ばせる長所や才能を評価項目に自由に加えられることで、目的意識を持って働ける環境が整えられています。

参考:中小企業庁「人的資本への投資と組織の柔軟性、外部人材の活用『事例2-2-5:岩田商事株式会社』」

参考:岩田商事株式会社 公式サイト

株式会社ワン・ステップ

ビニール製のエアー遊具を中心にイベント事業などの企画開発や販売を行う株式会社ワン・ステップは、積極的に従業員が「学び」を得られる機会を提供しています。社員の研修のために年間500万円以上を投資し、毎月40分程度の独自の社内研修を実施するだけでなく、オンライン研修「WEBee Campus」を導入しました。2020年1月頃はコロナ禍の影響を受けて売上が9割減少しましたが、若手従業員を中心に展開された新規事業が1億円以上の売上を達成し、コロナ禍以前の実績に近いところまで回復しました。この要因の一つとして、学ぶことが組織文化として定着したことを挙げています。

参考:中小企業庁「人的資本への投資と組織の柔軟性、外部人材の活用『事例2-2-3:株式会社ワン・ステップ』」

参考:株式会社ワン・ステップ 公式サイト

まとめ

中小企業と大企業における人的資本経営の取り組み方の違いや、中小企業が人的資本経営を実践すべき理由を解説しました。

現状、人的資本の情報開示義務が課せられている対象企業が、有価証券報告書を発行する約4000社に限られているため、人的資本経営は大企業が実践する経営手法と思われることもあります。しかし、これからの時代は企業規模に関係なく、人材を資本として捉える人的資本経営が必要不可欠であり、企業価値を持続的に高めるための変化が求められています。今いる人材を最大限に活かすために、人的資本経営の理解を深めた上で自社にあった対策を立てていきましょう。人的資本経営の実践事例を更に参考にしたい場合はこちらの記事をご覧ください。